〝次世代を推す〟ということ


最近巷で話題のジャニーズWEST×Aぇ! group問題。



元ジャス民&元Aぇ担として自分の考えを記録に残しておきます。



ただ、これは本当に日記みたいなものなので、共感や理解を求めたり、思想を促すものではないです。推し方は千差万別。どんな思いが合っても間違いではないしね(それを悪意を持ってSNS等発信するのはダメです)。



※以下WESTとAぇの話をしますが、その他の関西ジャニーズの名前が出てきます。不快な方はここでブラウザバック推奨!!!







今、WEST現場にAぇが居すぎ問題が出ていますね。

Aぇ推されてない?ゴリ押しされてない?と。



個人的な意見としては、推されてます。
おそらく大倉・横山Pの推し方とWESTの受け入れ方が合致したと思ってます。



元々大倉くんはなにわ男子、横山くんはAぇをプロデュースしてくれていて、特に大倉くんは関ジュ全体の統括プロデューサーでもありました。

なにわ男子をフロントに置き、サイドやバックに他のグループを置いて固定することで、〝関西の顔〟〝推していくメンバー〟を可視化し、新曲をバンバン出したり大きな箱でライブをしたり、時には自分の名前を出してでも関ジュの存在感を知らしめてくれました。
そのスタンスは今でも変わらずやってくれています。横山くんが番組にビデオメッセージくれたり、番組で名前出してくれたり。



そしてWESTからAぇの認識としては、「俺らに似てる頑張ってるかわいい奴ら」。
言葉を全く選ばずに言うならば、そもそもWESTはAぇ贔屓でした。なにわ男子デビュー前のAぇは、「打倒なにわ男子!」なキャラクター(?)で、Jr.時代の「打倒関東Jr.!」な自分達と重ねていたのだと思います。


今のグレショーの枠も元々WESTがやっていた枠ですし、番組の宣伝をリア突でやらせてくれました。今やったら炎上するかもしれないけど。

既にデビュー街道まっしぐらだったJr.時代のなにわ男子より、明らかにAぇに肩入れしていました。





そこで転機、なにわ男子のデビュー。
大倉横山Pからなにわ男子は巣立ち、残ったのは新生関ジュ。


なにを考えるか、そりゃもちろん「次のフロント」ですよね。そこで選ばれたのがAぇだったんだと思います。

ソロコン・舞台・新曲、怒涛のプロデュースで、Aぇは露出の機会を増やしていきました。これが去年末〜今年頭くらいの話。


(個人的には大倉くんのプロデュースの仕方天才だと思います)




元々なにわ男子を中心に見ていた大倉くんはAぇも見るようになり、横山くんは今まで通り見てくださり、どんどん仕事が増えるAぇ。



ジャニーズJr.チャンネルも、なにわ男子が独立したので出演が隔月となり、物理的に本数が増えました。


それまで再生回数はなにわ男子と比較されていましたが、比較対象がなにわ男子から関東Jr.&lil かんさいとなり、編集さんやスタッフさんとの相性にも恵まれ、Aぇのトークスキルが遺憾無く発揮されました。お陰で常にヘッダーを取れるほどに。




ここでジャニーズサイドは、「今Aぇが来てるのか」と認識したのだと思います。


そしたらまあジャニーズ側としては、数字がある子をどんどん出したら全体のJr.の知名度が上がるな、特に今なにわ男子が話題になってるから関西自体トレンドだし良いかもな〜となりますよね。




おそらくここら辺からが「推され」と言われ始めた頃だと思います。




まず〝ジャにのチャンネル〟の出演。これは正直反響は少なかったです。ゆるくてクスッと笑える雰囲気のチャンネルにしては熱量が高すぎたのかな…。

ただここで、ジャにのチャンネルを見ている層(=今までAぇを知らなかった層)に対してのアプローチが始まったんだろうな、とは思いました。



ジャニーズカウントダウンライブではWESTのバック…というよりは、共演してましたね。



そして大きく話題になったのは、関ジャニ∞の18祭、ジャニーズWESTのドームツアーへの同行。



急にバックジュニアとして出演が決まり、Aぇ単独でオリジナル曲を歌ったり、Aぇのためにセトリが変更された箇所もあったらしいです。







なぜここで荒れたか、私の考察では、

①WESTもエイトも、記念かつ周年のライブだったこと
②WESTのセトリや最近リリースの曲がもともと賛否両論だったこと
③人気曲がセトリ落ちしたこと
④WESTの方向性が変わってきたこと

にあるかなと。




前提としてWESTへのヘイトが溜まっていた人達が、WESTが自分達を差し置いてAぇを贔屓する姿に不満が爆発したのかなと考察しました。



SNSで見た一部意見として、「せっかくドームライブなのにセトリがミクジュと変わらない。もっと昔の曲やってほしかったし、なんなら最近の曲にはついていけない。」という意見でした。
これは人の価値観なので合う合わないは仕方のないことだと思います。



その層はセトリに満足いかないとすると、もうWEST見るしかないんですよね。だって音楽で楽しめないから仕方ない。



なのに自分が応援してないJr.が出てきてWESTはハケて、Jr.がなんか楽しそうに歌ってる。そりゃ意味わからないですよね。WEST出してくれやってなりますよね。



ただWESTとしては、何の他意もなく、「Aぇは頑張ってるから応援したって」の気持ちなんですよね…それが皆んな分かってるから荒れたのかな、と…


先述しましたが、WESTはなんせAぇ贔屓なんです。付き合いも長いし自分達に似てる。なので自分達ができることならなんでもしてやりたい。


そして、大倉横山Pはもちろん、ジャニーズサイドとして「AぇはWESTが受け入れてくれてる」と認識すれば、そりゃどんどん共演させたい。



ここが合致したことが一番大きいと思います。受け入れ方と推し出し方がピッタリ合ってしまった。


+アルファで付け足すとすると、Jr.時代からWESTはエイトにすごく良くしてもらっていました。
色んな所で名前を出してもらい、Mステでは関西対決と称して一緒にMCにも出してくださり、沢山面倒見てくれた分“Aぇにも何かしてやりたい精神“が大きすぎるんだと思います。



なにわ男子のデビューで、大倉くんにもデビュー采配の権限がある事が分かってしまったため、Jr.界隈では次も関西からデビューか…?とあまり穏やかではない雰囲気が流れています。
特に今Jr.は、Jr.単位で紹介されることもなく、グループごとで色んな場所で色んな活動をしているため、多数のグループがデビューに向けて横一線でやってるんですよね。



このようなさまざまな環境が全て重なって、ちょっと荒れてるのかなと。





ここまでが私の現状の考察です。

そして、ここから古参ぶりたい元オタクの私の意見。






WESTがデビューして、エイトさんの仕事がWESTにいくつか渡った時、散々叩かれました。



「二番煎じのくせに、バーターのくせに、パクリのくせにしゃしゃりでるな。全く面白くないやつらがエイトの代わりなんか務まるわけがない」



めっちゃ傷つきました。関西から10年ぶりにデビューしたのに、仲間だと思われてないなんて。


でも今思うと、当たり前に出てくるヘイトだったのかなと。


関ジャニ∞とeighterが長年かけて培ってきたものを、新参者がヒョイと取り上げてしまう状況だったわけですから、嫌な気分になって当然です。仕方ない。




ただ、絶対に言い方は良くない。
エイトの株まで落とす言い方が目につき、少なからず当時の私は「関ジャニ∞のファン怖い、なんでそんなに言われなきゃならないの…」と思ってしまいました。


思うことは自由です。怒るのも自由。ただ、それを当事者や当事者のファンが見えるように悪意で書き込むことは、自身や、自身が応援している人の価値を下げます。



そして元WEST担として、今の立場になってわかることは、「新参者に仕事が流れることは仕方ない」「WESTが関ジュゴリ押しするのは仕方ない」です。


これは私が常々思うことですが、メディア、特にテレビ媒体に不変を求めることは不可能です。テレビは常に新しい情報を、新しいブームを求めています。ご長寿番組でもない限り、常に新しく改変していくのがテレビです。


これからWESTの仕事がAぇになるかもしれない。もしかしたらもう既に、WESTに行くはずだった仕事がAぇに行ってるのかもしれない。


正直そりゃ私も辛いですが、残念ながらこれはもう仕方ないんです。誰がどう足掻いても、仕方のないことです。
なので、文句を言っても無駄。WESTの価値を下げるだけ。



唯一対抗する術としては、CDやDVDの売り上げを上げること、YouTubeTikTokの再生回数いいね数を増やして話題性を上げることしかできません。


ただ、わざわざ記念のライブや配信にまでAぇを出す必要はないかなと…WESTだけの時間をもつ意義自体、WEST本人とファンの間でギャップが生まれてしまっている気がします。
7人だけの姿を見ることが少なくなってきた状況を、メンバーがあまり懸念していないことがちょっとモヤモヤ。



そしてAぇ担の意見としては、「推される所まで来たんだな…」です。これは本当にめんどくさいオタクの意見なので、こいつクソだなと思ってもらって構いません。


Aぇはそもそも、才能はあるのになかなか機会に恵まれなかった人を6人集めたグループです。
結成した時には既に前になにわ男子がおり、年齢的にももうガムシャラにやっても仕方ないことは最初からわかっていました。でも、当時の6人にはガムシャラにやるしか術が無かったんです。

意味がなくても、なにがなんでも。



正直辛かったです。デビューが見えないグループを推し続けるのは。


今では色んな才能を発揮する場に恵まれ、次世代デビュー枠の1グループに入っていると堂々と言えます。
本当にデビューするためには、今の「推され」をモノにするしかないと思います。


さらにいうと、今の状況はAぇはなんら悪くありません。Aぇはそりゃ出られる媒体には出たいし、事務所は出したいし、WESTは出られる環境を作ってあげたい。それだけです。Aぇには何の落ち度もない。爪痕残そうと必死なだけです。
だからこそ、いろんな意見があれど、SNSでの発信の仕方は今一度考えてほしいと思っています。




ここまで書いといてなんですが、WEST担の人格とAぇ担の人格が混じっている私の意見は特殊だと思うし、もし掛け持ちしている人でも分からない人は分からないと思います。私も複雑です。



ただ、WESTはせめてもう少し7人だけの場を設けてくれたら、Aぇは今の環境をもっとモノに出来たら、少し状況は変わるんじゃないかな。





来年の今頃は、関ジュのフロントは、また次の世代になってるかもしれないですしね。



小説"空色"

こちら自作小説になります。いつも呟いてるような内容は出てきません。
苦手な方はブラウザバック!



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初めは、マフラーだった。
僕の目に飛び込んできた、鮮やかな空色のケーブル網みマフラー。青色というには淡すぎて、水色というにはクリアすぎる、そんな空色。

いつもの鈍色の車内が急に明るくなった気がして、僕は重たい眼鏡を思わずクッと上げた。
渋い色が多い中で見るからに浮いている空色のマフラーに誰も目もくれない。不思議だ。僕の目にはすぐに飛び込んできたと言うのに。

"彼女"の首に巻き付いた空色は、錆び付いた朝の電車を、眩しくし過ぎてしまった。



次の日は、ヘアゴムの空色。
彼女は、僕が降りる数駅先にある高校の制服を見にまとい、凛とした表情で窓の外を見つめている。昨日はマフラーに巻き込まれていた髪が、今日は後頭部で結んであった。それが、空色のヘアゴムだったのだ。

今流行りの色なのか、彼女が好きな色なのか。手にあったスマートフォンで調べてみても、ネット記事にあるトレンドカラーに空色は見当たらなかった。


それから僕は、平日は毎朝電車で空色を探し始めた。
今日はイヤリング。今日は靴下のワンポイント。今日はスクールバックについたキーホルダー。毎日毎日よく思いつくものだと思うくらい工夫を凝らしたアレンジを加え、彼女は空色を見に纏う。

期待を胸に入った会社で、"新人だから"という理由で理不尽に怒られ、頭を下げさせられ、度があっていない眼鏡でアスファルトばかり見ていた僕にとっては、久しぶりの空だった。空を探すのが1日のピークであり、電車を降りる時が1日の終わりになる程、それは日常になった。

出来ることならば、理由を知りたい。空色にこだわる理由。ただ、知ったところで何があるわけではないけれど…。





とある土曜日の朝、休日出勤で電車に乗った僕は、空色を見つけた。彼女がいたのだ。

綺麗な空色のワンピースを着た彼女を。彼女のワンピースは七分丈で、そういえばもうマフラーをつける季節ではない。僕はそんなことすら彼女に気付かされていた。

僕の時間は彼女の空でうごされているといっても過言ではない。



彼女はいつもと同じ場所にいたけれど、余りにも違和感があった。
それは制服を着ていないことと、いつも吊り革を持って立っている彼女が座席に座っていること、少し化粧をしていること。
彼女の座席の隣は空いている。何故か僕は、理由を聞くなら今しかないと思ったのだ。頭の中で台詞を反芻する。"空色が好きなんですか?"

次の駅に着いたら彼女に聞いてみよう。嫌な顔をされたら、来週からは一本早い電車に乗ろう。



次の駅に着く。すると彼女の凛とした表情に、笑みが浮かんだ。彼女の表情が崩れたのを見たのは、それが最初で最後だった。視線の先は、"彼"。

彼女は視線の先の"彼"を見つめ、小さな声で「空!」と呼びかけ、手を振った。


その瞬間、僕の頭の中で全てがつながったのだ。彼女が空色を見に纏った理由。ずっと窓の外の空を見つめていた理由。






そして僕は電車を降りた。
決して恋では無い。なので、失恋したわけではない。ただ、彼女は僕の青空だった。そこには一切の濁りはない。



僕の時計を動かしていた空は、"彼女"の空ではなかった。




駅を出た瞬間なぜか溢れ出した涙を止めるために、僕は上を向いた。
その瞬間、彼女とは比にならないほどの満天の空色が、僕を照らした。

孤独であるということ


孤独だ。人は、果てしなく独りだ、と常々考える。



例えば。
自分だけ不参加の飲み会。既読にならないLINE。過去にはもう戻れないと気付いた日。時計の秒針をBGMに眠る夜。そして今。




人は1つの個体として産まれてきた限り、孤独であることは天命であり宿命なのだ。人が人と関わる意味とは「孤独ではないと自らに言い聞かせるため」ではないか。
仕事をすれば誰かの役に立つ、友達と会えば楽しくなる、恋人と会えば満たされる、家族と過ごせば愛される。それがあたかも当たり前の事のようであるが、そもそも全ては一人ひとりの「誰かとつながっていたい」という願い(ある種のエゴ)で出来た固定概念のようなものではないだろうか。
人は本来孤独であり、1人である。生きるも独り、死ぬも独り。





深夜2時、もう全てが嫌になってこのままベッドで寝てしまいたいけれど、化粧を落とさないと肌が荒れるし、スキンケアしないと乾燥してしまうし、お風呂に入らないと汚いし、ああ、後はストレッチをしないと浮腫んでしまうし、ああ、後は、後は、後は………。
何かの工程を抜かせばもう絶望だ。そんな風に毎日生きる。それに疲れてしまった。完璧主義だと言われるが、それは半ば強迫観念のようなもので、常にこうであるべきだという自分の像が後ろから生活を見張っている。
もういいじゃないか。浮腫んだって肌が荒れたって。そう涙ながらに訴えることすら諦めてしまった。
1人なのに、なぜ戦っているんだろう。誰と戦っているんだろう。
出来ることなら欲望に忠実に生きたい。食べたい物を食べて好きなことをして過ごしたい。でも、そんな自分に価値はない。みんなに必要とされてこその価値なのだ。
孤独はそんな夜にふと、現れたりする。
なぜ人は本来孤独なはずなのに、価値を求めるのだろう。
今の自分の価値は若さだ。
若さはもう戻らない。この瞬間も、自分の若さを浪費しながら生きている。そんな自分に嫌気がさし、結局軋む体を無理やり伸ばして洗面所へ向かう。




孤独を知ると後はもう、奈落だ。
全員消えれば良い、いやそうじゃない、それよりも自分が消えた方が手っ取り早い。寂しい。切ない…辛い。


鬱病を患っていると、人の気持ちはグラデーションになっていることを痛感する。
寂しいの一言で片付けられないほど、明かりの一つも灯っていない真っ暗闇にいる気分になることがある。そこでは身動きを取ることもできず、助けを呼ぶこともできない。寂しいや孤独を通り越した、最早恐怖と呼ぶべき感情だ。ただ、ふと灯りが見えることがある。それが本当に小さな蝋燭のもののようなこともあれば、焚き火くらいの灯りのことも。そんな仄かな灯りが点ることを、暗闇でただ願う。



それでも、残酷に時間は過ぎる。そんなことを考えている間に夜は更けるし朝日は上る。


もう許してくれ。もういっそ、暗闇のなかに閉じ込めてくれ。そうすればきっと何れ目は慣れるし生きていける。明るい世界を知りたくないんだ。もう奈落に落ちるのは辛いんだ。お願いします。もう私、きっと十分頑張った。生きていく自信が、輝く未来が、もう私には見えないんです。
神様、どうか。





明日の朝、私の暗闇に小さな灯りが灯っていることを願う。

世界一の君へ




親愛なる貴方へ。





今日は25歳の誕生日!おめでとうございます!








24歳はどうでしたか?大変だった?楽しかった?

充実した一年だった事を祈っています。






ケーキを作ろうか、絵を描こうか、お祝いツイートしようかな〜とか色々考えたけど…結局私らしく私の言葉で、ブログにてささやかにお祝いさせてください。







正門くんの人生を、私に、私たちファンに共有させてくれてありがとう。
アイドルとして生きてくれる今にありがとう。
貴方の事を想う毎日は切なくて、愛おしい。




24歳の正門くんと心の中で過ごす日々は、色んな感情でぐちゃぐちゃでした。
こんな事言うべきじゃないかもしれないけれど…悔しい思いも悲しい思いもした。時には涙を流しました。でも君は、それを遥かに上回る幸せをくれた。なんて私は恵まれているんだろう。想う幸せを教えてくれたのは間違いなく正門くんです。




私の人生と正門くんの人生が交わることはないことは重々承知です。でも、私はこの人生で貴方を見つけた。これは私の誇り!










改めて、25歳の正門良規へ。


正門くんはポジティブだから、天然だから…あまり辛いところを誰にも見せないけれど。
時には立ち止まってください。大丈夫。みんな貴方を想っています。それは、貴方が色んな人を愛しているから。





Aぇのシングルが店頭に並ぶこと、もっと大きな会場でギターの音を轟かせること、映画館で貴方の演技が見られること。
これらの夢は、絶対に叶います。Aぇ担はきっと全員そう信じてる。



色んな好きなところがあるけど、なにより、夢を追いかけ続ける姿が大好きです。









勝手ながら。
生涯最後の"担当"になってくれて、ありがとう。








君の25歳の一年が、24歳の一年よりも更に実のあるものになりますように、心から愛を込めて。




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またね!幸せに!

滲むゆくえは、知らないかたち?

舞台「染、色」の配信が終了しました。
これで、本当の本当の終わりですね。お疲れ様でした。



私のツイートをよく見たり、私が喋ってるのを聞いたりしてる人は思うでしょう。
「何回染色の話すんねん」と。
わかる。私も思ってる。何回話しゃあ気が済むねん。

恐らくこれで最後なので!許して下さい。





これは、舞台を観劇した一個人、というより一オタクの重い想い(掛けてみました)があふれてこぼれて、140字じゃ足りないな…と思い気まぐれに書いてみただけのブログですので、悪しからず。










実のところ結構、見るのしんどかった〜。
"しんどい"という言葉が観劇後の感想として適切なのかは分からないけど、胸が詰まったとか疲労したとか、そんな気持ちを簡潔に表す言葉が分からないし、色んな意味を含めてこの感情を表すのは"しんどい"が一番しっくりくる。失礼な意味合いではないのは、観た人なら分かってくれると思う。



何がしんどかったって、ラブシーンがとかじゃなく、登場人物全員の感情を拾っちゃってしんどかった。




↓観劇後のツイート




誰かの人生に没入するって疲れるししんどい。たった2時間10分の舞台でも、たった6人のキャストでも、すごく移入しちゃった。これは私の感受性の問題もある。

将来とか夢とか愛とか恋とか、憧れとか嫉妬とか。あの世代を経験した人なら一度はぶつかる壁に直面している人達と、共に過ごしている感覚。俯瞰的に見ているはずなのに、共鳴してしまうほどの共感。苦しかったな…。





あとしんどかった点としては、深馬の事を好きになれなかったこともあるかもしれない。
杏奈の扱いも、真未への羨望をぶつける姿も、友人達との付き合い方も…どうしても好きになれない。ただ、深馬みたいな人間はそこら中にいる。間違いなくいる。


きっと側から見たらミステリアスな人なんだろう。でも、夢や才能の物差しに溺れて理性を失って、その結果人を傷つける事を発する、私と同じ様に未来に不安を抱えながら生きる、普通の男の子だったんだと思う。


染、色は、深馬だけの話じゃない。真未も、杏奈も、北見も原田も滝川先生も、全員が歪で、苦しんでた。深馬はそれを知らなかったろうし、知ろうともしてなかったんじゃないかな。

隣の芝生は青い。

自分は非凡だと思い込み、真未の自由に憧れ、滝川の不自由を見下してた。ように見えた。





私は、基本的に担当が演じた役はどんな役でも好きになる。というか、愛おしくなる。正門君の演技を欠かす事なく観てるのか!と言われたら自信はないけど、少なくとも映像に残っている正門君が演じた役は全て愛おしい。なんせドラマ落ちのオタクだし。
 


深馬は酷くて惨めで、人間臭い様な、血が通っていないような…とにかく、あまり好きになれない人だった。

ただ、嫌いにもなれなかった。それは、深馬も苦しんでるから。深馬の苦しみにも共感してしまったから。

パンフレットの対談で、演出の瀬戸山美咲さんと脚本の加藤シゲアキさんが「深馬は酷いし、弱いところも見せる。でも正門なら大丈夫だと思う」みたいなこと言ってた(確認してないから朧げ)。

もし深馬を他の人がやってたら、こいつ嫌い!って言ってたのかな。正門くんの、優しくて実直で温厚な人間性を知ってしまったから、フラットな目線で観ることが出来ていないかもしれない。
でもそれ込みでも、深馬は可哀想な人だと思う。




だから、大好きな正門君が深馬を演じてる事が苦しかったのかもしれない。大千穐楽を終えた日、正直すごく安心した。勿論、無事に何事もなく走り切ることができて良かったという安堵もある。でもその中には間違いなく、「もう正門君が深馬になることはないんだ」という気持ちも含まれてた。



正直に言うと、深馬が怖かったんだと思う。
私と同じように悩み、壊れていく深馬が怖かった。いつからか自分自身を投影していたのかな。
正門くんが深馬に乗っ取られてしまうんじゃないかって、すごく怖かった。それくらい深馬は私にとって大きな存在だった。







結局のところ、何も分からない。以前書いた染、色感想ブログだって、ただの私の解釈。何が正解か?これから6人がどう生きるのか?知る由もない。

それでいいし、それがいい気がしてる。正解なんて知りたくない。私の中であの6人は生きている。







人間は惨めで弱いから、たくさん苦しむし、たくさん悩む。でも、苦しんで悩む強さを持っている。誰もが葛藤と共存しながら、這いつくばって生きている。




全てが染められてしまった深馬は、杏奈や友人とかに縋りながら生きていくのかな。きっと心のどこかに真未の面影を探しながら生きるんだろう。精神的な所はわかんないけど。






とにかく、終わった。終わったね。



あの、2020年3月、NEWSの番組で加藤シゲアキさんが発表したあの日から始まった「染、色」が終わった。






きっと私、この戯曲を忘れない。



「染、色」につけられたシミは、どれだけ時間が経っても消える事は無いんだろう。






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余談ですけど、杏奈マジで地雷女だと思う。劇中は不憫な所が多かったから同情しがちだったけど。地雷女と地雷女製造機で果たして幸せになれるんかな?

舞台「染、色」の記憶を残しておきたい


正門良規君が初座長舞台を務めた「染、色」。


無事に千秋楽を迎えたので、思い出をここに残しておきたいと思います。


カーテンコールを終えた時の感想は、勿体ない、忘れたく無い、今のこの感情を消し去ってしまいたく無い!でした。
それくらい、混沌としてて、複雑。終わった後の心の摩耗感というか、何かを擦り減らしながら観ていたような気がしました。



私の記憶もまちまちですし、私の頭では到底鋭い考察をする事も出来なさそうなので、これは飽くまで「染、色」を見た1オタクの"感想と個人的解釈"です。なので色々間違ってることもあると思われますが、優しい温かい目で読んでいただけると幸いです。
そして誰かが少しでもこういう解釈もあるのね、と、「染、色」を違う視点で捉えられたらより幸いです!


また、私の記憶力は鳥並みに低いです。その中で探り探りかいているので台詞等は悔しいけれどニュアンスです。なんとなくシーンを思い浮かべてもらって、違うところがあったらご指摘いただきたいです。



そしてそして本題に入る前に。私は原作未読のまま舞台を鑑賞したので、原作と関連付けた話は一切ございません!これは「染色であって染色でない」舞台だと伺ってたので、ファーストインプレッションは舞台でありたいというオタク心です。ご了承下さい。勿論読みます。読みますので。そこのあなた、怒らないでくださいね。



以下ネタバレ含みます!公演は終わっておりますがいつか映像化を願ってる方はここでお控えくださいませ…。
(追記)7月に配信が決まりましたね!!!!!配信ご視聴予定の方は各々の判断でご覧ください!









  • 真未の存在について
  • 「本物」とは何か
  • 杏奈の心情について
  • 深馬はどんな人だったんだろう

①真未の存在について


黒ずくめの服を着た謎の女、真未。
皆さん戸惑いましたよね?少なくとも私は死ぬほど戸惑いました。


深馬の人生を、たった一本のスプレー缶で染め上げ、決して消えない色を残す存在です。



美大の油絵学科に通う、成績優秀な青年、深馬。
自分の作品に不完全燃焼感を抱きながらも大学の展覧会に出品し、友達に「どこがいい?去年のとどっちが好き?」と質問責めをしていました。対して面接前で緊張しているというのにわざわざ大学まで足を運んでくれた彼女である杏奈が感想を嬉々として述べると、それを「ありがとう」とぶっきらぼうに遮ります。

そんな深馬の作品に色を足し、ある種完成させたのが真未でした。

高架下で深馬が徐に書いたスプレー缶の落書き。次の日に起きたら完成された作品になっていました。それを書いている人間の存在を感じ、探し始める深馬。自分の落書きが完成しているのを見たその表情は、怒りにも見えたし、救いにも見えたし、なんなら笑ってましたよね。この時点では展覧会の絵を付け足した人物も、落書きを完成させた人物も真未であると言うことは知りませんでしたが、出会う前のこの時から深馬は既に真未という存在に囚われ続けていました。


白い線が恐竜の化石の絵に。ただの丸が女性が寝転ぶ絵に。雑なタッチの花が白く燃える華になっていました。


ある日真未を捕まえ、話をします。
そして真未はなぜ作品を完成させないのか?と問いかけます。深馬はきっと図星で、感情を露わにしてお前に何がわかるんだ、そこで見ていろ、と伝えスプレー缶を手に取り、山羊の絵を書こうとしましたが、結局最後まで書けずじまいでした。そこに真未が色を加えたことにより深馬に火がつき、二人で山羊と蛇のグラフィティアートを完成させます。


真未の家に行き沢山話をし、壁のシミを二人で塗りつぶし、抱きしめてキスをして、深馬は真未と作り上げるグラフィティアートに没頭していきました。
二人は"ポリダクトリー"(多指症)という名で有名になっていき、深馬はどんどん明るく外交的な性格に変わっていくと同時に、作風も変わっていきました。


しかしある日真未が自分の大切な作品を壊していたことを知り、深馬は絶望します。

真未は言うのです。「深馬が頼んだんだよ?」と。
「私が深馬の自由になってあげようか。君は何にだってなれるんだよ、何にだってなれる」それが最後の台詞でした。


深馬は倒れて入院した後、自宅に帰ることをやめました。もちろん真未とはそれきりです。

そして春。深馬は、作品を壊していたのは自分であり、"ポリダクトリー"や"真未"は存在しないことを知り、咆哮の様な声をあげます。




ここまでがざっくりとした真未との出会いから別れです。なっがい。笑
結論、真未は存在したのか?していないのか?と言われると、私はしていないと思います。
 

深馬は彼女からも友人からも"掴めない人"と言う印象を受けている中、真未は深馬に何度も「分かるよ」「見てればわかるよ」などと理解を示す言葉を掛けます。そこだけ切り取れば真未は深馬の一番の理解者なのではないか?と思いますよね。でも、実はその言葉、全部真未がコントロールしているようにも思えませんか?



例えば深馬の友達の北見くんについて。
北見君は彫刻・立体学科で、粘土を用いて作品を作っていました。とても成績優秀で、だらしない所もありますが社交的な性格の明るい青年です。

真未は北見くんの作品を見て「何この中途半端な作品。こんなの小学生の私でも作れるよ?造形なんて練習すれば誰だって出来る」と批評します。
途中までは怒っていた深馬でしたが、どんどん言葉尻が小さくなり、その次の日には「もっと作品と向き合えよ!」と北見に激昂しているシーンがありました。
それまでは、冗談混じりで伝えることはあれど、深馬は他人の作品に対して感情を露わにするほど移入する人間では無いように私は感じていました。
真未が中途半端、と批評しなければ?才能があると批評していれば?そう思うと真未に一種の洗脳をされていたのではないか?とも思いました。



しかし真未はいなかった。少なくともこの物語の中では存在を消しています。私は存在しなかったと思います。



じゃあ真未は何だったのか?



おそらく皆さんが浮かんだのは「解離性同一性障害」、所謂二重人格と言われるものではないでしょうか。私はまずこれを思い浮かべました。
しかし、二重人格だったと仮定すると、真未という存在が深馬と違うところに在ったことに違和感を覚えます。二重人格だったら身体を同じくして真未が出てきたり深馬が出てきたりしてもおかしくない。でもそうじゃない、物語の中では真未は一人の人間でした。
連絡は出来ていたし、話すことも触れることも抱きしめることも出来ていましたよね。



幻覚なのか?はたまた精神病を患っていたのか?と色々調べた結果、私の中でしっくり来たのは「イマジナリーコンパニオン(フレンド)」と言うものでした。





以下Wikipediaより引用

通常児童期にみられる空想上の仲間をいう。イマジナリーフレンドは実際にいるような実在感をもって一緒に遊ばれ、子供の心を支える仲間として機能する。イマジナリーフレンドはほぼ打ち明けられず、やがて消失する





とどのつまり、「心の中にいる友達」みたいなものです。
真未は深馬に対し常に理解を示していたし、発言はほとんどが的を射ているものばかりでした。


普通なら幼少期に消失するとありますが、深馬の生い立ちは、地元の絵画教室で才能を開花させ幼い頃から上京して一人暮らしをしていましたよね。両親は共に地元へ残り、父はタクシー会社を経営していました。父が倒れても深馬は実家へ帰ろうとはしませんでしたし、母との電話の声色は明らかに高く優しい声になっていました。タクシー会社を継ごうかな、と電話先で呟くと、深馬の母は泣き、それを許しませんでした。


両親からの愛情は果たして十分だったのでしょうか?


もしかしたら深馬は精神的にとても幼い部分があり、それを表出できないまま大人になってしまった。そして作品作りに対して大きなストレスを感じた時に出てきたのが真未というイマジナリーコンパニオンだったのではないでしょうか。


真未は泣く時、赤子のようなヒステリックな甲高い声でギャンギャンと泣いていました。それももしかしたら深馬の深層心理にある子供の部分を真未が表現していたのかもしれません。





②「本物」とは何か?


劇中、何度か「本物」と言う言葉が出てきましたよね。


深馬は施設で暮らした過去を持ちながらも気ままに生きる真未に対し、「本物の自由を持っていて、本物の不幸を持っている真未に俺の苦悩はわからない!」と告げます。


本物の自由と本物の不幸って何だろう?
深馬は冒頭で、芸術について「何でもいいんだよ、面白ければ。」と話します。そこから真未と出会い、自分が自由だと思っていたものは学校や家族や法律に守られていた自由、つまり自分は籠の中の鳥でしか無かったことに気付きます。しかし本当に真未は自由だったのでしょうか?実際に真未は、「深馬は恵まれてるんだよ」とやや不愉快そうに伝えていました。


真未は絵を描くことは歩くことと同じだからやめることはできないと言っていました。真未はそれを自慢げに話していましたが、本物の自由は絵を描くことをやめる選択肢があることではないでしょうか?


真未の自由が本物の自由じゃないとするならば、自由とはこの世に存在しないことになりませんか?


人間は生きていると必ずなにかと制限があります。それは法律など規則などに限った話ではなく、モラルや価値観に囚われるのも一つの制限ですよね。じゃあ人は生きてる限り本質的な自由を得ることはない。

つまり自由こそが"死ぬこと"だったのかもしれません。


真未は作品の完成を"死"と表現します。人は自分の最期を見られない。深馬は完成することが怖いんだよ、と。

そこから深馬は作風が変わり、大学の恩師である滝川先生に作風についてこだわりを聞かれると「ちゃんと死ぬことですかね」と答えます。

そして最後の、自分が作品を壊したことを知ったシーン。「また最後まで死ねなかった…」とつぶやきました。
これは深馬が唯一持っていた、自由になるヒントを自らの手で壊していたことを知り、嘆いたのではないかと感じました。





話は変わり、滝川先生と原田の話に移ります。
ポリダクトリーに偽物が現れ、それを捕まえた深馬。フードを取るとそこには、恩師であった滝川先生がいました。
滝川先生は「何でお前なんだよ」と、自分の夢が深馬によって叶えられていくことに絶望していたことを伝えます。


過去に深馬は滝川先生について聞かれると、「シナモンみたいな、すごく存在感はあるけれどそれだけでは完成しない、脇役」と表現し、滝川先生になりたいかと問われると曖昧に微笑み、無言の否定をしていました。

滝川先生は深馬が「本物」になっていくことに憎しみや劣等を感じていました。
ポリダクトリーの「本物」になりきれば、それは「本物」になれる。滝川先生は脇役ではなく主役に、「本物」に固執している人のように感じました。
滝川先生が深馬に縋りつき泣いた時も、深馬はただ呆然と滝川先生を見下ろすのみで、彼に何をするわけでもありませんでした。


また、そこには同じ大学で友人の原田君が居て、その映像を撮っていました。
原田君は映像学科で、深馬や北見の創作風景を撮影し、ドキュメンタリーを制作している子でした。

彼は入学当初人間関係がうまくいかず、退学まで視野に入れるほど追い詰められていました。そこに手を差し伸べたのが滝川先生。信用できる人が大学にいなかった原田君は、優しく接してくれる滝川先生に恋をします。

滝川先生は、「深馬や北見といった成績が優秀な人と一緒にいれば、みんなが君を見る目も変わる」とアドバイスし、原田君はその通りに二人と友人になります。つまり、原田くんは滝川先生によって虎の威を借る狐になったのです。

滝川先生のアドバイスも、特別に3人にだけ部屋を貸していたことも、滝川先生が「本物」に対して劣等感を感じており本物になるチャンスを常に伺っていたことを知ればまた納得がいきます。実際に、深馬や北見の作品を事細かに分析している描写もありました。


話が逸れましたが、滝川先生は、自分がタグ、本作でいう6本指が生えた手形を残す姿を映像として残すことで、「本物のポリダクトリー」になろうとしており、その映像を撮る人材に抜擢したのが原田君だったのです。
原田君は「頼られて嬉しかったんだ。」と言いました。彼もまた、本物になりたかったけどなれないことを知っていた人だったのかもしれません。だから、「本物」になりうる才能を持つ深馬や北見を撮影することで、自分もいつか「本物」を撮影した「本物」のアーティストになろうとしていたのかもしれませんね。



③杏奈の心情とは


深馬の彼女、杏奈。彼女は大学四年生の就活中であり、時折リクルートスーツで出てきたり、面接シーンもありました。

深馬は、そんな杏奈を邪険に扱う時もあれば、縋るような声で電話をしたり、割と振り回していましたよね。


杏奈は就活中、「全然うまくいかなかったー!」と言っていました。実際、芯がないと言われたり、困ったら笑って誤魔化したり、まあ確かにうまくいってないわな…と思っていました。
就活は、企業を選別すると同時に企業から選別される立場にもなります。杏奈はESをとりあえずいろんな企業に送っていたようなので、選別されているという意識より強かったのかも知れません。そしてどんどん落とされていく不安。選別で残れなかった悔しさ。彼女は常に笑顔でしたが、きっと鬱屈した気持ちや焦りを隠していたのだと思います。彼女の家は幼い頃からシングルマザーで、母親も働きに出ていたため、誰かに甘える術をあまり知らなかったのかも知れません。


対照的に、先述した通りどんどん明るくなっていく深馬。杏奈は他の女の影を感じ、深馬の友人である北見に深馬の様子を探ります。そして真未とは違い、静かに涙を流します。


杏奈は常に深馬の前では気を使い、緊張しているようにも見えましたし、パンフレットにもそう記述されていました。それはおそらく、就活中の選別されている、という意識下で「深馬に選別から落とされたくない、嫌われたくない」という思いが常にあったんだと思います。誰かに必要とされることって意外と自分の心の支えになるし、逆に必要とされていないことは時に大きな絶望になります。


「好きだよ……私は」
杏奈のこの台詞は皆さん印象的だったんではないでしょうか。関係を終わらせようとしている恋人に好きだよ、と伝え、返事がない事を悟り自分で完結させる杏奈。これも一種の依存かも知れません。



そして就活が終わった杏奈は、真未の影を見せる深馬とどう接していくのでしょうか。
深馬が留年したことにより先に社会に出て、広い世界を見る杏奈は、これからも深馬と共にいられるのでしょうか。
最後に深馬が通話で伝えた涙混じりの「今から会いにいってもいいかな」に対して杏奈は何と答えるのでしょうか。原作で答え合わせを早くしたいです。



これはちなみになんですが、北見は常に深馬より杏奈の方を心配していましたね。深馬の存在はもちろん大切だったと思いますが、自分が女関係にだらしない割に他の女の存在を勘づくと怒りを露わにし、「杏奈ちゃん泣いてたぞ?!」と言っていました(深馬に杏奈と会ったのか?と言われ一蹴されてしまいましたが)。
劇中で告白するシーンなどはありませんでしたが、手を掴むシーンや言葉の温かみ、そもそも出会いが北見が声をかけたことから始まっていますし、パンフレットでも北見役の松島庄汰さんが「好きな人」と言ってらっしゃったのできっとずっと恋心はあったのでしょう。ちなみにでした。


④深馬とはどんな人だったんだろう


結局のところ深馬はどんな人間だったのでしょうか?


就活とか、課題とか、将来とか、夢とか、恋愛とか、そんな誰しもが抱えたことのある悩みを、深馬たちは同じように抱えていました。
真っ暗なトンネル。無限大の可能性に反比例する無力感。そんな色褪せた毎日が1人の女性によってぐちゃぐちゃに塗りつぶされてしまった深馬。


「今までは、怒りとか苦悩とか悲しみとかいう感情を芸術にできていたけど、それができなくなった。そしてそれに対しての不安さえない、ヤバいとさえ思えない」と滝川先生に漏らしていましたが、真未によって芸術へのモチベーションが"死"に変換されてしまいました。どんどんエネルギッシュになっていく深馬でしたが、真未は結局いなかった。深馬はアイデンティティを失ったとも言えます。


また、深馬は昔から絵を高く評価されており、美大も主席で入学しています。北見に誘われ遊んでいても、誰も気付かぬ間に作品を作り上げてしまう才能がありました。
どんどんと時が経つにつれ、自分の絵に納得できなくなる深馬でしたが、周りからの評価は変わらぬまま。〝これは自分の作品ではない〟と主張もできぬまま、自分と周りの温度感のギャップに苦悶していました。


そんな中真未だけは、深馬の生い立ちも、完成させない理由も「普通だね」の一言で終わらせてしまいます。
その時の深馬の顔は、特別だよ、と言ってもらえなかった落胆なのか、始めて理解してもらえた安堵なのか、どちらとも取れる表情をしていました。
対して杏奈は常に深馬に対しては絶賛し続けます。「凄いね」「いい絵だね」と。その言葉に安心する時もあれば、鬱陶しく思っている時もありました。


深馬は、自分は非凡でありたい、でも凡人でありたいという葛藤の中で創作活動をしていた様にも思えます。


自分の作品を後世に残したいけど、いつか否定されることが怖かったのかな。だったら完成させたくない、未完のままだったら否定されたって言い訳が効くから…ここらへんはちょっと記憶が曖昧なので完全に私の解釈です。





また、秋に咲く桜は、春にももう一度咲くのか?という話です。興味深そうに北見に聞いている姿が印象的でした。原田君が「それって…」と言っていましたが、その言葉の続きは「自分のこと?」と聞きたかったのかなあと解釈しました。


秋に咲く桜、つまりは季節を間違えて咲いてしまった桜。そして一度枯れた桜は、春になるともう一度咲くのだろうか。間違えたタイミングで評価されてしまい、創作に自信を失った深馬は、また評価される時は来るのだろうか。
桜に自らの姿を重ね、また咲くことを願ったのかも知れません。













ということで私の「染、色」の解釈&感想は以上となります。
本当はもっともっと色々あるんですけど記憶が曖昧で自信がありません。笑


真未は自身の腕にスプレーを振りかけることを「洗う」と言っていましたが、何を洗っていたのでしょうか?実際に脚本の加藤シゲアキさんがバーで見かけた女性が発案のきっかけとなったそうですが、その女性は何を考えていたのでしょうか?
また、服装も、最初は真っ白の服を着ていた深馬がどんどん黒い服装になっていったのも気になります。これも確信がないので深く言及できませんが、もしかしたら黒ずくめの服装をした真未の洗脳具合だったのかもしれないですね。



たった一本のスプレー缶で、たった一本の線で、たった一枚の絵で変わってしまった深馬の人生。



部屋の隅にあった紫色を見て最後に深馬がした咆哮は、はてさて絶望か?孤独か?憤怒か?



価値観を真未によって染め上げられた深馬はこれからどうやって生きていくのか?



〝何にだってなれる〟深馬は、一体これから何者になっていくのか?



先のことは何も想像できませんが、ただ登場人物がみんな幸せでありますように、と願うばかりです。






余談なんですけど、グラフィティアートについて少し調べたところ、グラフィティアートは壁に絵を"描く"のではなく、メッセージを"書く"要素が強いので、動詞は書くと表現する事があるそうです。なので今回のブログでは書くと表現させていただきました(間違ってるところがあったらごめんなさい)。
また、自分の存在をアピールするためタグと呼ばれる自身の存在を知らしめるサインのようなものを書く時代もあったそうです。名前を書く人もいるし、マークを書く人もいるし、今回は6本指がある手の縁取りでした。







最後になりましたが、座長の正門良規くんをはじめ、キャストの皆さま、演出の瀬戸山美咲様、脚本の加藤シゲアキ様、その他多くのスタッフの方々、東京グローブ座公演と梅田芸術劇場公演、計35公演、本当に心からお疲れ様でした。


正門くん、とっても堂々としてて、きっとこの作品はこれからの正門くんにとって大きな転機となるだろうなと思ったし、それを目の当たりにできた事、貴方のファンとしてとても誇りに思います。本当に本当に、お疲れ様でした。







最後になりましたが、深馬君へ。
秋に咲いて、もう一度春に咲く桜、あるみたいですよ。その一つが「アーコレード」という花で、品種名は〝賞賛・賛美〟という意味らしいです。


  


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以下参考・引用文献
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%25E3%2582%25A4%25E3%2583%259E%25E3%2582%25B8%25E3%2583%258A%25E3%2583%25AA%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2595%25E3%2583%25AC%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2589
グラフィティの歴史や書き方を画像で解説!アーティストも | | Dews (デュース)
GKZ植物事典・アーコレード

正門良規くん沼落ち備忘録



お久しぶりはてぶ〜〜!!!





今回はタイトルの通り、関西ジャニーズjrのAぇ! group所属、正門良規くん沼落ちブログです。


せっかくなのでブログに残しておこうかな!と思ったので書いてみま〜す!語彙が無いので読みづらいと思いますが悪しからず…。



(誰得だよという意見は受け付けておりません ご了承下さい)






①今までのヲタク歴・正門良規くんとの出会い




前提として、私は現在進行形でジャニーズWEST小瀧望くんの担当です!

2015年春、私が高校1年生の時に友達に見せられたデビューイベントのDVDで、最後に小瀧くんが投げキスするんですけど、それを見た次の日にはパリピポのDVDポチってました。


それからジャニーズWEST目当てで「ザ少年倶楽部」を見るようになるのですが、ほぼ同タイミングで現HiHi Jets井上瑞稀くんを知りました。

何故か当時の私は「この子は売れるぞ……!!!」と確信し、いわゆる推し枠として、活動を見守る親戚のオバさんポジションでHiHi Jetsを応援していました。無事売れてきたのでおばさん嬉しい。ちなみにこちらも現在進行形です。


(割愛していますが、2007年ごろから10年ほど嵐の二宮担をしていました)




そんな私が、たまたま見始めたドラマが「恋の病と野郎組」でした。目当ては完全にHiHi Jetsの高橋くん、猪狩くん、作間くん。

関ジュが出ることは知っていましたし、ジャニーズWESTを担当しているので正門くんの存在は知っていました。しかし失礼ながら全くノーマーク、ハマる兆しすら無かったんです。


1話から7話までは普通に、ミムリンかわいい〜〜ゴトゥーかわいい〜〜〜DK尊い〜〜〜と見ていましたが、

私の運命を変えたのは第8話でした。




そう。


第8話が私の運命を変えました。




そのシーンというのが、伝説の、「キャンディちゃん。かわいいだろ」です。














えっ









八代ってこんなかっこよかったっけ……???





マジで驚愕し、何度も何度も巻き戻してそのシーンを見ました。そして私は、ヤバイ気がする、これはもうヤバイ気がする…と思い友達にLINEをしました。



(頭悪そうだな)


それから、野郎組を1話から全て見直し、正門くん、もとい八代くんがどんどん好きになりました。八代くんかわいい、八代くんかっこいい、無理すき〜〜〜!!!(野郎組は今見てもめちゃくちゃ悶えます)



この時期たまたま学校がそんなに忙しくなくて、時間があったため、もっと正門くんを知りたい…!と思い、HDDを漁りました。




すると私に奇跡が起こります。




なんと、Aぇ! groupが出演していた櫻井・有吉THE夜会が残っていたんです。



おそらく過去の私がミーハー心で録画していたもので、消さずに置いていたんです。こんなにも過去の自分に感謝したことはありません!ありがとうな夏の私!!!!!!



たこ焼き食べてリアクションする正門くんがマージで可愛くて可愛くて可愛くて仕方なかったです(これも今見ても悶えます)


めちゃくちゃちなみにですが、佐野晶哉くんの存在はこれを見て知ります。本当にごめんなさい。笑 それくらい関ジュには無知で、数年前にあったメイン組と現在のなにわ男子のことくらいしか見てなかったんですよね…今思うともったいない……






そしてそんな私に第二の奇跡が起こります。




Aぇ! 関西プロジェクトもたまたまHDDに残っていたんです。マジで過去のミーハーな自分ありがとうな!!!!!!


そこで正門くんがギターを弾けることを知ります(遅い)



エーーー楽器できんの?!無理すき!!!!




ということで私の沼落ちは、野郎組8話→夜会→Aぇ! 関西プロジェクトの順で、スムーズに行われていき、気付けば素顔4をポチっておりました。これが正門くんとの出会いです。




ジャニーズWESTを担当していた私は、少年倶楽部を2016年ごろから全てDVDに焼いていたので、正門くんのギターの実力や歌なども少年倶楽部で知りました ありがとう少年倶楽部






②担当にする覚悟


私個人の価値観として、誰かを担当にすることってすごくハードルが高いんですよね。掛け持ちをするバイタリティも無いし、金もないし……

なので、ここまで語っといてなんですが、あくまで推しだったんです。担当より軽いきもちで、頑張ってね!というスタンスで応援してました。担当は小瀧くんのまま、推しが井上瑞稀くんだけだったところに、正門くんが増えただけ、って気持ちでした。正直、すぐモチベーションも下がるだろう、一過性のものだろうな〜と思ってました。


しかも正門くんがリアコ枠であるという情報を友達から仕入れていたため、ハマったら終わりという気持ちもありました。笑(今でこそそんなにですが、数年前は小瀧くんにリアコ拗らせすぎて、リアコのメリットデメリットを知っていたので)



私が何故正門くんを担当にする覚悟ができたきっかけは、1/11の京セラライブです。


たまたまお友達がチケットが余っていて、ご厚意で同行させてもらいました。(感謝しかないですありがとう)




しかも席は超良席、本当に恵まれたライブでした。






1年前に公演が終わっているのでライブの内容にも触れますが、
炎の中センターステージでfire birdをガッシガシに歌うAぇ! groupを見て、めちゃくちゃ鳥肌立ったんですよね。


ワイルドなダンスだけでなく、セクシーなカメラアピール、かわいい笑顔、そしてなんと言ってもバンド。



Aぇ! groupの良さは知っていたつもりなのですが、こんなにもクールでパワフルで魅力的なパフォーマンスをする人たちなんて聞いてない!!!ズルい!!!!




そして、正門くんの挨拶。


「末長くよろしくお願いします」
と、凛とした表情で、まっすぐ前を見て告げた正門くんをみて、




私この人の担当になりたいな、堂々と正門くんが好きですって言いたいな、って思いました。




歴が浅いどころか関西ジャニーズjr自体全く無知で、正門くんのことも全然知らなくて、そんな人が担当って言っていいのかわからないけれど、私は正門くんが大好きです。







③そして現在


ジャニーズWEST小瀧望くん、Aぇ! group正門良規くん担当、HiHi Jets井上瑞稀くん推しです(端的)


八代から入ったAぇの沼。最初は正門くんだけを見ていたのに、どんどん6人のことが好きになっていって、今では関ジュまるっと大好きです。




まだまだAぇに関しては新規だし知識も浅いです。もっともっと正門くんを知りたい!正門くんを見たい!!!

でも、長年ジャニオタしてきて思うんですけど、新規が一番楽しいんですよね。完璧なアイドルに完璧なオタクって楽しくない!未完だからこそ続きを知りたくなる!だから私は永遠に新規でいます。笑





運良くチケットを取れていた公演や舞台がコロナのせいで次々と無くなり、中々正門くんに会えない日々が続いています。悲しいけど、不思議と寂しくない。それは6人が限られた環境下で一生懸命コンテンツを生み出してくれていたからだなあと痛感します。



11月にあったドリパピ、とっても楽しかった!!!久々にAぇを見て、制限の多いライブでもここまでエンターテイメントができる6人って無敵じゃない?と思わされました。(WESTに関しては2年も会えてない ツアー当たりますように)





そんなこんなで今ではどっぷり正門良規沼です。もんびば拗らせてます。今時風に言うと勝たんしかもんびば。





Aぇが大坂城ホールでライブするまで!

いやいや単独5台ドームツアーするまで!

いやいやデビューするまで!

いやいやAぇがAぇである限り!!!

私はAぇについていきます!とここに宣誓しておきます!!!!!!

100周年までお祝いしようね!!!!!!






というわけで長い長い正門良規沼落ち備忘録でした。ここまで約4000字。序盤は結構前に書いてて③は勢いで書いたので文章ぐちゃぐちゃですがご容赦ください。※まさかの書き始めたの1年前だったこわいこわいこわい




もし、もしこのブログでAぇについて少しでも気になってくださった方はこちら↓



https://youtu.be/kmqqHUa_wUI



(急なダイマ